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2018年4月29日 (日)

地域包括ケアシステム雑感

下町ユニオンニュース 2018年5月号より

私は地域包括支援センターで働いています。地域包括支援センターは平成18年から設置されましたので今年で13年目です。私も平成18年から地域包括支援センターで働いていますので、業務経験年数は日本一(タイ記録)です。もちろん大した記録ではないのでタイ記録保持者はいっぱいいるんですが、面白いので時々使うことがあります。 

高齢者の相談は様々ですので、毎日様々な相談があります。サービスを使うことで解決するような相談ばかりではないので、ご本人やご家族、同僚たちと一緒に悩みながらちょっとずつ前進していく、そんな仕事です。たのしいといったら相談者に失礼かもしれませんが、いろいろ考えさえられるので勉強になり、いい仕事だと思っています。

地域包括ケアシステムの考え方では、行政も含めた関係機関と相談しながら解決方法を考えていくことそのものが、地域包括ケアシステムの構築につながっていきます。 

 地域包括ケアシステムという考え方は、地域包括支援センターができる以前から存在していました。地域包括支援センターは設立当初から地域包括ケアシステムの中核を担うことを期待されていたのです。あまり知られていないかもしれませんが・・・。数年前の診療報酬改定から地域包括ケアシステムの推進が大きなテーマとして取り上げられて、地域のお医者さんたちも「地域包括ケアシステムの推進」とか言ってくださるようになり、一気に認知度があがりましたね。昔から医療介護連携をどう進めたものかと悩んでいた私は、本当にありがたいと感じています。

 地域包括ケアシステムの最終形ってどうなるのかなぁってことも何となく考えながら仕事をしています。国が決めた制度を各自治体が実施するというスタイルがあったわけですが、地域包括ケアシステムはそうではなく、各自治体が、各地域の実態に沿って制度を決めていくものということになっています。完成予想図はなく、一つ一つの問題解決に取り組みながら、その地域にあったシステムを構築していく必要があるのです。と書いていて、すごく立派に聞こえるし、正しいんだろうけど、やっぱり丸投げ感が強いなぁとは思いますね。

ひとつ気になるのは各自治体の担当部署も「丸投げされた」と感じているような気がするのです。「各自治体で決めなさいって言うけど、そんなの慣れてないし困るよ」って雰囲気が結構あるんですよね。自治体の担当者も困っているように感じます。

実際のケースで困っていることを出発点にして施策にしていくというルートができたということだけでもとても良いことだと思っているので、行政担当者が困っているならなおさら、どんどん問題提起していくことが、実際に相談を担当している我々の重要な仕事なんだなぁと、強く感じている今日このごろです。       

    (るちょ・社会福祉士)

2018年3月28日 (水)

私たちぬきで私たちの 福祉を決めないで

下町ユニオンニュース 2018年4月号より

長年、私は高齢者・障がい者の福祉に関係する仕事をしてきました。そのなかでいろいろ考えてきたことがあります。今回は、私たちぬきに私たちの生活に直結する福祉制度がどんどん決まってしまう、という問題をお話しいたします。

来年度(2018年4月)から自治体の福祉計画が新しくなるのをみなさんはご存知でしょうか。

じつは、自治体の計画は、3年に一度くらい見直しをすることになっているのです。最新の課題に対応するためや以前つくった制度がきちんと機能しているか確かめるためです。ですので、昨年、役所の中では新福祉計画の策定のための会議が何度となく開催されていたのです。

ですが、私には、「役所が福祉の計画をつくれるの?」という疑問がわいてきます。福祉の現場で働いている人も、福祉サービスを受けている人も役人ではありません。役所は、介護施設や福祉サービスにお金を出しているだけなのです。役所が直接、福祉の仕事をすることはほとんどなく、民間事業者に丸投げです。そんな役所が福祉の現場をよく知っているとは到底思えません。さらに計画をつくる会議の参加者は、役人と学者です。こういった学者は総じて行政に批判的なことは言いません。こんなことで役所が住民目線の福祉計画などつくれるのでしょうか。

私たちは役人がつくる計画なんてほとんど関心ないです。ところが、この計画に基づいて私たちの福祉サービスや保険料など生活に直結することがどんどん決定されていってしまうのです。

役所の計画策定会議は、傍聴できます。でも平日の昼間にわけのわからない会議なんてだれも行こうとは思わないですよね。そのうちに役所は自分たちに都合よく制度を作りかえます。私たちのあずかり知らないところで生活に関わる重要な決定が日々なされてしまうのです。

これに異議を唱えることはとても難しい。なぜなら、私たちは役所のやり方をよく知らないからです。形式上、民主的に決められた行政の意思決定なので政治家ですら、なかなか反論できないのです。

現在、立場の弱い高齢者や障がい者が不利益を被るような状況があり、現場の介護職員は行政のやり方に翻弄され続けています。これに対して、役所は「地域の担い手不足」、「地域の助け合いネットワークが希薄である」からだと言います。はたしてそうでしょうか。確かに下町地区は、集合住宅も多く、以前のような人情味あふれた住民同士のかかわりは薄れたと思います。ただ、その理由は格差の拡大や非正規雇用の増加など生活が苦しくなって、私たちが地域活動に割いている時間などないからです。

たいへんな社会状況を役所が放置しているのに地域のきずなを方便に自分のことは棚に上げ、忙しい区民へ行政の責任を押し付けるのは明らかに不当です。嘆かわしい現状を改善していくには、私たち自身も役所のやりたい放題にしないよう、行政の意思決定過程をよく理解し、おかしいところはおかしいと声をあげていくことが重要だとつねづね考えています。(M・社会福祉士)

2018年3月15日 (木)

ケアマネジャーの今後を憂いて

下町ユニオンニュース 2018年3月号より

平成30(2018)1月31日、東京都福祉保健局より「東京都高齢者保健福祉計画(平成30(2018)年~平成32(2020)年度中間のまとめ」(概要)が発表されたが、ご覧になった方はいるだろうか。

この中に、平成37(2025)年の地域包括ケアシステムの姿、として地域を支える資源を環でつないだイメージ図が描かれているが、その中には「居宅介護支援事業所」の記載がない。介護支援専門員としては、環の中の「人材の確保・定着・育成」が必要な対象としてほんの端っこに名を連ねているだけなのだ。全18ページの内、「介護支援専門員」の記述があるのはこの図が載っている4ページ目と、資質の向上が必要な対象として、17ページ目にあるだけ。今後の東京都の地域包括ケアシステムにおいて、介護支援専門員がどの様な立ち位置を準備されているのか。

平成12(2000)年に介護保険法が施行されてからこれまで、高齢者と介護事業者を繋げるハブとしての役割を担ってきた介護支援専門員が、まるで地域包括ケアシステムの弱点となっているかのような扱いを受けている様に感じた。 

専門職は、いずれも自らの専門性を維持・向上させ自ら担保する為に職能団体を組織している。介護支援専門員が組織する職能団体もいくつかあるが、看護師や療法士らと比べると加入率は格段に低い。介護支援専門員は自身らの専門性をもっと声高に知らしめ、そして名だけではなく実を伴った存在へと昇華すべく取り組む必要があるということも確かなのかも知れない。この中間まとめを読んで、何かを感じた介護支援専門員の方はもっと声を挙げていくべきではないか。そうでなければ、このまま「不要」な存在として他の職種にその専門性を取って代わられてしまうのではないだろうか。既に、「介護支援専門員不要論」を唱える人も現れて、また強気で反論できない現状もある。ケアプラン作成にAI導入の話まで挙がっている。

私も介護支援専門員として、自信を持って専門職であると言える立場にあるよう、研鑽を心掛け職能団体に加入したが、今一度「介護支援専門員の専門性」が何であるかを見つめ直す必要があるだろう。 

さて、色々書いてきたが、今後介護支援専門員が地域の中で必要とされる存在であるにはどうしたら良いのだろうか。地域包括ケアシステムの中心には高齢者本人やその家族が描かれている。従来、介護支援専門員に期待されていた役割を思い出してみると、そうした高齢者や家族の伴走者という立場を期待されていたのではなかっただろうか。研修でも「エンパワーメント」「アドボカシー」など高齢者本人の為にどう働き掛ける事が出来るか、教わってきたはずである。今回の地域包括ケアシステムイメージ図には描かれていないが、高齢者やその家族の隣や陰に支持役として描かれる、そんな存在を目指すべきではないだろうか。つまり、元来期待されている役割を果たせる存在になれれば、介護支援専門員は再びあのイメージ図にも大きく描かれるはずである。    (いちケアマネ)

2017年10月31日 (火)

虹の彼方は?

下町ユニオンニュース 2017年11月号より

 

私は介護保険制度が導入されて2年目の2002年に下町の訪問介護事業者で働き始めて以来、途中に腰椎すべり症になった為現場を離れ介護職養成学校で1年程働いていたのと、妊娠・出産で離職していた時期を除いた10数年間にわたり訪問介護で働き続けています。

 

 最初に介護職で働き始めたのは20代後半でした。仕事はやりがいもあり感謝もされます。手助けをすることで他人様の人生が本当に変わります。他の仕事では味わえない事が沢山あります。

とは言うものの、当時も既に介護職は3K、給料安い、離職率も高く問題になっており、また働く側として問題を強く実感していました。

 

今でも時々思い出す光景があります。最初の訪問介護事業所で働いて2年目の頃でした。当時サービス提供責任者に昇格したばかりの頃、慢性的な人手不足で週6日出勤が常態化していました。誰かの急な休みか何かで更に連勤になり、連続勤務が13日目になり、仕事を終え自宅に帰ろうと駅のベンチに座っていました。疲労で朦朧としつつふと目を上げると雨上がりの空に大きな虹が二重にかかっていました。

大変珍しく、ダブルレインボーとも言うそうです。当時の私は二重虹を目の前にしながら途方にくれていました。私は何で休み無く働き続けているんだろう…こんな激務を何年も続けていけるのだろうか、仕事は好きでも身体を壊すのでは無いか、今はまだ若いが年齢が上がったら無理だろう…暗い未来しか想像が出来ませんでした。

 

あれから10数年が経過し、中年になった私は今もサービス提供責任者を続けています。

もし虹を見上げながら途方にくれている自分に出会えるなら、伝えアドバイスしたいと思います。

地獄の13連続勤務お疲れ様~、実はね、2017年も介護業界の問題点は全然変わっていません。人は年々減っています。募集かけてもさっぱり応募が来ません。キャリア10数年、40代半ばの今も「若手」扱いです。人が来ないから多分10年後も「若手」。

現実を見据えて自分も含めスタッフの年齢、体力、気力を測りながら効率良くチーム運営して行くより仕方無い。

  給料は上がったかって?恐ろしい事に殆ど変わって無い。会社を変わらなければ微々たる昇給は毎年あるでしょうけど。

あとね、身体がもたないんじゃないかって心配? 大丈夫。体力がついて今ではY市の三つの区をまたいで電動自転車で一日2030キロ走り回ってます。

だからね、職場は変えてもいいから介護職は絶対に続けて行きなさい。

手助けする事で他人様の人生を少しだけ変えられるこの仕事は確実にあなたの人生を大きく変えるから。

 

あの頃の疲れきった私がそんな未来を聞かされたら更に絶望するかもしれませんが。      (プリン体)

2017年8月16日 (水)

あそかユニオン

下町ユニオンニュース 2017年8月9月合併号より

江東区にある社会福祉法人あそか会は前常務理事の不正により経営が危機的な状況となり、『あそかユニオン』(あそか管理職分会とあそか支部)を結成したのが2015年3月。そのわずか4ヶ月後には兵庫県の赤穂に本部を置く伯鳳会グループの傘下に入って2年が経ちました。あそか会の新理事長に就任した伯鳳会の代表とは、2~3ヶ月に一回のペースで団体交渉が開催され一定の信頼関係ができたことや経営も改善されたことなどもあり組合の要求が認められ労働条件が改善されてきました。特にこれまで30分ごとの残業時間の計算を1分単位にしたことは大きな改善です。今年7月に行われた団交では、ケアマネの資格更新のための費用の半額助成も確認しました。懸案だった相談員やケアマネなど専門職を兼務している課長の超過勤務問題についても一定の手当を支払うということで確認しました。伯鳳会の賃金制度と人事考課制度の導入により就業規則の変更が昨年行われましたが今秋に実施される人事考課で仮等級から本等級に変更されることで給与の減額はないことも確認しました。

就業規則の変更では十分な説明や組合との交渉も行われず拙速に変更したことについては、理事長から謝罪があり今後は時間的にも余裕をもち十分説明し組合とも交渉していくことを約束しました。有給休暇の消化率を調査し取得率の改善を労使で図っていくこと、今後実施される人事考課が公正公平に行われるのか、実施後に職員アンケートなど行いフォローしていくこと、3割を占めるパート職員の労働条件の改善、来年4月の雇用契約期間の無期転換を前に公正な処遇を求めていくことが今後の課題です。

 経営陣がかわり経営情報が開示されるようになりました。これは伯鳳会の経営方針によるものです。また改革を早く進めるためにトップダウンで決まっていくことがしばしばです。まだまだ改革のスピード重視で労使対等に話し合って労働条件を決定していくという大原則が根付いているとは言えません。それでも労働組合と理事長との定期的な団体交渉が開催され話し合うテーブルは出来ています。

あそか会で働く職員の声、現場からの意見を組合で吸い上げ要求にまとめあげて経営陣と交渉し一つひとつの要求を実現していき、労働条件の改善を図り働きやすい職場を作っていくことは可能です。

労働条件の改善や働きやすい職場がつくられることで職員の定着率が高まり、モチベーションも維持され、結果としてご利用者・ご家族へのサービスの向上にも必ずつながるということを経営陣に理解させていくことが大事だと思います。また地域包括システムが本格的に始まり責任のある事業を担っている社会福祉法人であることを考え、超高齢社会を迎えている地域の介護について現場から提案できる組合活動も求められていると思います。そのためにも各職場や職種で組合員間の意見交換や交流、また組合員以外にも職場アンケートなど、様々な機会を通じて職場の意見を集約していくことが必要です。次回団交は9月21日です。あそかユニオンの活動をみんなで支援しよう。(かせ)

2017年6月 1日 (木)

介護士~『変化の速度』~

下町ユニオンニュース 2017年6月号より

  現代は昔と比べて変化の速度が速い。社会福祉の世界も同じだ。例えば、人類の知識量は、現在は十年で二倍になる速度。一七世紀は百年以上かかったといわれる。学ばなければ廃れてしまうだろう。しかし『変化は早い程良い』というものではない。

変化の速度は車の運転で例えることができる。速度を出すとカーブを曲がりきれない確率が高くなる。また、見通しの悪さ、眠気、感情の高ぶり、運転手技術の未熟さ等があれば、より事故が起きやすい。

介護の世界も同じだ。介護制度が、次々に変わるので、追い付いていけない。介護技術もそう。日々学んでいかなければ・・

何よりも、現場の職員の入れ替わりの変化は大きい。利用者も職員もついていけないし・・

将来の見通しも、眠気も、感情の高ぶりも、混乱も影響している。介護士も人だもの・・  誰でも介護はできそうに思えるけど、経験は必要だと感じる。できそうで、できないことがあるのだ。

例えば未経験の人では

・事故の予防方法や対応方法(まさかと思うことで事故が起きる。でも、車の運転と同じ様な、リスク確率の掛け合わせなんだけどね)

・利用者の状態の把握に対する判断と対応方法

・食事時の飲み込み状況

等意外とあり盲点になることがある。

ところで、パソコン・携帯電話・インターネット・防災・デザイン・電化製品の使用法・パワードスーツの情報等、介護とは関係なさそうで関係するものはあげればきりがない。 

だって人の生活の支援だもの!~

例としてパソコンを~

介護の現場ではパソコンが苦手と言う人が多い様にみえるけれども・~例えば、セキュリティーの話は・・『わからないから、何もしないで』という意見が多い。しかし一方で、介護の現場は複数の人でパソコンを共有することがあるのだが・・

セキュリティーとは

『例えば、ある複数の人が出入りする部屋。机の上に5万円入った財布があるとする。

「盗むんじゃないぞ」と上の人が言った。

しばらくは、なにもなかった。しかし、ある時財布から2万円無くなっていた。「誰が盗んだんだ!」と皆を尋問する。さて、誰が悪いのか? ・・ それは、お金の入った財布を金庫にしまっておかなかったことが原因だ。金庫に入れ、誰が出したかわかる様にする。これをセキュリティーという!

複数の人が使用するから『ファイル削除・ウィルス浸入・果ては情報流出』とかないようにして、トラブルを防ぐに越したことはないと思うけど『わからないから全く対策を採らない』ということが多い。人は理解できないものを遠ざける心理があるからだ。でも大丈夫だろうか?介護情報は医療情報と同じ様に重要だと思うけど・~

 

他にもパソコンは『介護ソフト・資料作成』等様々に使っている。エクセルが罫線ワープロになっていることもあるけど・・・

でも、エクセルの使い方で何か自動化して無駄を省くことはできないだろうか?

変化の速度に、人が遅れてしまうことは介護の現場でも起きているようだ!!  

               (介護士  Z) 

2017年5月10日 (水)

遠方介護がやってきた!! その二

下町ユニオンニュース 2017年5月号より

義理の父の入院・自宅介護はできない状況・退院とあわただしく月日が流れていきました。

救急搬送された病院で急性期の治療が終了し、退院という文字が見えてきました。 夫には、「そろそろ出ていくように言われんじゃない?救急病院は、ベッドの調整もあるから急に言われるかもよ…。兄弟で話したほうがいいよ。今後の事も含めて。」と繰り返し伝えてきましたが、「田舎の病院だし、大丈夫だよ。」と軽く考えていたようです。

ある日の夜、「秋田の母親から電話あった。やっぱり一か月位で退院だって。どうするか決めてほしいといわれたらしい。」と夫から話がありました。「一緒にいる兄貴は、家には戻さないって。歩けるし、自分のことは見ていればできているから、帰れると思うんだけどさ。上の兄貴は、自分で動けるなら一度家に戻したらって、俺と同じ意見だよ。」と。

東北地方は雪が降ります。雪の季節に施設を利用するリピーターの高齢者はたくさんいます。新しくその中に入っていくのは難しそうです。時期的に考えると秋にもう一度施設の移動が必要になりそうです。施設入所ができない最悪の場合、一度自宅に戻ることも考えなくてはいけません。雪がたくさん降るのに?!(夫は、エッ!と(*_*;))。

一緒に住む次兄は、市役所に相談に行き、片っ端から連絡を入れて対応していくように伝えてもらえました。また、施設によって別途費用が必要になることもあること・入所期間が違うこと・対応も違ってくることを何度か説明・伝えても何の事だかわからないようです。どこか入れてくれるだろうとのんびり考えてます。

費用は大丈夫だろうか?有料老人ホームでは、月30万円くらい、老人保健施設(老健)では、月1315万円(個室7では、2030万円)位、高齢者専用住宅78万円くらい(医療費・介護費用・などがベッド必要になります。)かかります。 これまで、自分の両親含めて、義父母の年金収入や預貯金などまったく気にしていませんでした。 夫から義母に聞くと1015万円くらいであれば大丈夫のようでした。一か月…二か月…時間が過ぎますが、次の施設探しが進みません。義母も気をもんでいます。

義母に相談を受け、「正直に次兄の考えと義母の考えに違いがあること・退院後は施設を考えていることを病院の相談員に伝える」ように助言しました。相談員?(?_?)の母親に、看護師さんに退院の相談をしたいので相談員に会いたいといえば調整してもらえることを伝えました。

病院には、相談室(医療相談室・地域連携室・退院支援室など名称は様々)があり、医療費・治療・入退院・退院後の生活について・制度の利用などの相談の対応をしてくれる相談員(ソーシャルワーカー)さんがいます。今後の対応に困ったときの相談窓口になります。

相談員さんと義母と相談を行った結果、義母宅からは遠方になりますが、介護療養型病院を紹介してもらえることになりました。

介護療養型病院とは、おおむね65歳以上で要介護の認定を受けている方が対象で、リハビリや医療ケアを受けることができる病院です。医療法人が経営していることが多く、医療費の負担は大きくなることが多いですが、長期機関の利用ができます。今後、介護療養型病院は廃止の方向で、今後は「介護医療院」の名称に変更になる予定です。病院色が強いものではなく、老健(病院が併設)に近いタイプと有料老人ホーム(病院併設でない)に近いタイプのいずれかの施設色の強いものに、この6年間の間に変更していくようです。

初夏に義父は、介護療養型病院に転院しました。

夏休みに、34日で帰省しました。

義母宅から車で40分、田舎なのでバスもありません。義母が面会に行くには、誰かにお願いしなくてはいけないようです。

義父は、4人部屋で、他の3人の方は、胃瘻や点滴といったチューブ管理の方です。意思疎通ができるけど、会話などは難しい様子です。中には、ミトン(おむつ外しやチューブを引き抜かように両手にする手袋)をしている方もいました。

ふと、義父のベッドに目をやると身体拘束のベルトがセットされていますが、利用していない様子です。義父に聞くと、「ずっとある。何もしてない。」と。

義母に聞くと、「環境が変わったからか、ここに来たときには、ベッドから降りようとしたりしたんだよね。今は、落ち着いたよ。」

とのこと。せん妄(意識性が起こり、頭が混乱した状態になる。落ち着かなくなったり、錯覚・幻聴があったりと症状はいろいろ。原因は、薬や脱水や栄養障害・外傷などの疾病、環境の変化や心理状態のことが多い。せん妄だけの症状であれば一時的なもので、改善することも少なくない。認知症の症状の一つでもあるので認知症と誤診されてしまう事もあるようです。)。

義父は、まったく覚えていない様子です。状態が落ち着いてくれてよかったとホッとしました。

私達三男家族を義母が誰か聞いています。義父は、「何聞いているの?」といった感じで答えていきます。「お義父さん。」と声をかけると、嬉しそうに顔を向けてきます。何度か呼ぶと「はい。」と恥ずかしそうに返事をしてくれました。(「お父さん」と呼ぶのは、義父の人生で私が嫁いでからで、誰かに呼んでほしかったようだと義母。

いざ呼ばれると恥ずかしく、顔を向けてそっけない反応をします。意地悪な私は、何度か呼ぶので根負けして恥ずかしいのに返答してくれるのです。)

私の好きなシャイな義父は健在で、ちょっと安心しました。

秋には、ここも出なくてはいけないので、今後について話をしていくことになりました。

(ケアマネ M)

2017年3月29日 (水)

遠方介護がやってきた!!

下町ユニオンニュース 2017年4月号より

皆さんに、私の体験を通して、介護が必要になった時にどうするのか? 参考にしていただければと思います。

 私は、東京生まれで在住の為に、自分の両親は比較的近くにいるために子供が小さい頃はお世話になりました。幸いにして独身の弟が同居しているので、何かあれば相談にのり、通院にも同行することは可能な恵まれた状態です。主人は、東北生まれの男ばかりの三男・東京在住の為に両親と会えるのは、夏休みを利用した三泊四日程度の帰省のときだけです。次男家族が同じ建物に同居しておりますが、基本的に生活は別のようでした。

 昨年の五月に突然、「朝起きたら、ろれつがまわらない」と義母から義父の体調不良を訴える連絡が主人に入り、主人から私に連絡がありました。主人にすぐに救急車を呼ぶように伝え、次兄には主人から状況の説明を行い誰かが搬送について行けるように伝えてもらうことになりました。

 同居している子供に伝えるのが早いかと思いますが、帰省の際に何かあったら連絡を入れるようにと言っていたこと・私が長年介護の仕事をしてきていることがあってのことと思います。

 早期の脳梗塞と診断され、点滴治療で状態は回復しましたが、この後どうするのか? 介護の始まりです。先ずは、介護保険の認定を受けて介護度を記載した介護保険証をもらうことにしました。65歳過ぎると名前と住所・介護保険の被保険者番号が記載されたものが市区町村から送られてきているのですが、いざとなると見つからないものなんです。送られた本人や家族は、それが何なのか・どうしたらいいのかわからないのです。市区町村は、これが何か理解している前提で郵送してきているのです。どこかにしまっておいて、姿をくらましてしまうことやこれで介護保険のサービスが受けられると思う人もいるのですから。

何が必要かというと被保険者番号が必要なんです。どうしても見つからない場合は、介護保険課に電話して対応してもらえるのですが……。義母にも説明し、次兄にも伝えましたがピンとこない様子。幸いにも入院中で、介護保険証もすぐに見つかったので、病院の相談員さんにお手伝いしてもらいました。申請から一週間後に認定調査が行われました。認定調査では、「○○ができない」と出来ないことを訴えるのではなく、「耳が良く聞こえず、悪口を言われているなど被害妄想的にとらえることが多いので、繰り返しの説明・筆談等が必要で介護の手間がかかっている。」などと介護の実状をお話するといいみたいです。どのような状態でどれだけの介護が必要なのかを知るための調査なのです。

義父は、今回の入院で視力の低下を指摘されました。全盲に近いと……。 ???おかしいぞ……。 病気をするまで、毎日畑に自転車で行っていたし、入院中の今も病室の入口に義母が立つと声をかける前に義父が声をかけているし、ご飯もセッティングすれば自分で食べているし……。 おそらく、かかりつけ医でもなく、コミュニケーションが十分でない状態での診断なのかな?病院の相談員さんに相談して身障手帳の申請も行うことになりました。義父は、幸いにして脳梗塞の後遺症はほとんどなく、筋力の低下程度で済みました。もし、病気が原因で体に障害が生じた場合は、入院中に身体障害者手帳を申請するとスムーズですよ。診断などが必要なので、病院内で診断を受けることができますから。退院後だとご本人・家族の対応となってしまいますので……。

この後の対応をどうするか?起き上がり動作や食事は自分でできている・会話も可能で意思疎通も可・筋力低下があり、立ち上がりや移乗や歩行には介助や福祉用具が必要な状態の様です。家族は、どのように考えているのでしょう?義父自身は、「家に帰りたい」。義母は、「私がまだ看れるから、できるなら家に戻したい」。長兄夫妻は、「自分で動けるなら、家に戻ったら?認知症になっちゃうかもよ。対応難しい部分は、サービス使ったらいいんじゃないの」。我が夫は、「動けるなら、家に一度戻って様子みたら?このまま大人しくしているとは思えないし……」。次兄夫妻は、「無理。自分で出来ないなら無理でしょう。階段もあるし(義親の居住スペースは、母屋のすぐ隣の二階にあります)、介護は出来ない、しない」と、はっきりと在宅介護を否定してきました。

介護認定の結果に合わせて、デイサービスやヘルパーの協力も得られること・ベッドや車椅子などのレンタルも出来ること・階段には昇降機(座って階段を昇降する機械)も設置出来ることなど色々と説明しましたが、状況は変わらず。長兄と主人は、意見が一緒の様です。(長兄は、自宅で兄嫁の母親を介護しています。)

ですが、同居しないとわからない部分・主人は東京にいてすぐにいけない状況ということもあり、病院の相談員さんに状況の説明を義母・次兄で相談してもらうことになりました。その結果、急性期の治療は終了したが、もう少し病院でのリハビリをしてみてはどうかと、系列の療養型病院(長期的に療養しながら介護も受けることができる病院。概ね六ヶ月位)への転院をすることになりました。       続く(ケアマネ M)

2016年10月 1日 (土)

苦悩する介護の職員たち⑥

下町ユニオンニュース 2016年10月号より

 

介護現場の職員の多くは、その存在が評価されないために、逆にとんでもない行動を取ってしまう。その原因を作ったのは実は当事者ではなく、その事業所の管理者であったり、社会的な評価の低さだったりする。今回はそんなお話です。

 

とある介護の施設です。今はやりのサービス付き高齢者住宅、通称サ高住と言います。

一般的にはこうした施設は有料老人ホームと呼ばれる、特定施設入居者介護と言われるものですが、それとは少し違って、高齢者アパートのような形を取りながら、実際にはそのアパートに看護や介護の職員が常時いて、ケアをしている・・と言うものです。

いわゆる「(施設の)外から」サービスが入るため、外部サービス導入型とも言われています。

 

そのサ高住では、なんと自分たちのタイムカードを適当に打刻して、時間外の手当てをくすねていたといいます。実際には必要でないケアを利用者に提供し、あたかも時間外のサービスを行ったように見せかける。こうしたやり方が横行していたといいます。

 

なぜこんなあさましいことが起こったのか。原因は明らかでした。

つまり、こうした職員の不正行為を管理者が知らない、関知しない体制が出来上がっていたのです。その原因は、現場の動きを知ろうともしない、まるっきり職員に丸投げの体制がありました。

経営管理者は常に「数字(経営収支)」だけを求めていたといいます。誰がどんなケアをしているのか、どんな利用者が入居しているのか、そんな職員の苦労はお構いなしに、単に経営の数字だけを優先させる管理者にきっとすさんだ気持ちや裏切られた気持ちがあったでしょう。

 

大事にされない職員は、いつしか管理者の目を盗んでその荒れた気持ちを埋めるように、手当てをくすねて気持ちを満足していたのかもしれません。

こうした状況を見て、早速「サービス向上委員会」を立ち上げて、みんなで改善策を図ろうと提案しました。

が、実は難問はここからでした。

一向に進まない改善策は、「みんな戸惑っています。これまでと180度違う運営が本当にいいとは思います。でも、じゃあこれまでは何だったのか・・とも思います。私たちは、ただこうしたことに我慢してきただけだったのかと・・」

絞り出すように話す職員たちを前に、私の気持ちはとても悲しいものに変わりました。

だれにも相談できない、誰も分かってくれない、その中でじっと耐えながら日々を過ごしてきた職員には、改善する意欲も対策も思い浮かびません。

まずは、彼らのすさんだ気持ちをいたわり、つらい気持ちを解きほぐすことから始めなければならない、そう感じた瞬間でした。

我々労働者の苦悩は、こうしたところから始まるのだという、当たり前のことを改めて教えられた事件でした。

「我々の声を聞け!」これは万国共通の、労働者の叫びです。声を上げる!声にする!

そのことを改めて考えさせられました。   (F)

2016年8月11日 (木)

在宅医療の現場から③

下町ユニオンニュース 2016年8月9月合併号より

  

一週間前(2016年7月26日)の津久井やまゆり園の「事件」は、様々な反響を生んでいます。今回はこの事件を取り上げてみたいと思います。

本来、殺人事件に異常さも病理性もないと思いますが、なぜかこの種の犯罪については、殊更「異常な病理性」や「特異な性格」などが大きく報道されるように感じます。

「重度障がい者を殺害」「次々に刃物で殺す」「犯人は元職員」「19名が心肺停止、26人が重軽傷」などなど、殺害の現場を伝えていきます。

それこそ「異常な犯人が、異常な行動で殺人を犯した」という文脈のみが報道され、幸い助かった入所者の様子やその家族、あるいは被害を受けた家族や本人の様子は、なぜか知らされないままです。しかも、当事者の名前も報道されないまま、誰がどうなったのかさえ分からない、それこそ「異常な報道」が続きました。

そして続く第2報は、衆院議長邸での殺害予告や「措置入院」「入れ墨」など、あたかも「異常な人物」の姿が流されていきます。まさに都知事選挙の佳境に入ろうとしたそのときに、この事件が報道されていきました。

全体の報道のテーマは一貫して「精神に異常をきたした犯人が、異常な殺人事件を起こした」というもので、施設の保安管理や事件後の救済処置、同じような施設管理の問題などはなぜか背後に隠れたままでした。百歩譲って、精神障がい者の「治療や支援」といった報道は、全くされないままでした。

この事件にしても一週間を経てようやく、殺害された本人の名前や施設職員の名前が公表されないことに、「違和感がある」と報道されるようになっています。しかも、同じような障害を抱える当事者や支援者から「むしろ公表しないことが問題」と指摘されても、いまだに明らかにされる様子はないようです。

「事件」の詳細は不明です。が、ここからくみ取る教訓や課題は何でしょうか?

「社会的に異常な人物は、隔離するほかない」ということなのでしょうか?それとも、社会防衛をきっちりしないと、誰でも事件に巻き込まれてしまう、常に危険と隣り合わせなのでテロや事件に対して対策が必要、とでも言いたいのでしょうか?

以前この下町あれこれでも書きましたが、川崎幸町の老人施設の殺人事件が報道され、その後その施設を運営していたメッセージは損保ジャパンに買い取られました。事件後一年以上も経過した後で、事件は殺人事件として報道され犯人が逮捕されていきました。

結局、この事件は老人施設の管理の問題や施設職員の労働環境、介護施設でのケアの問題を教訓化することなく「姿を変えて」存続していきました。

今回の「殺人事件」は、今後どのような報道の内容に変化し、最終的にどんな教訓を残していくか、注視していきたいと思います。

なぜ、障害者の支援を夢に見ていた若者が「異常な精神」を持つようになったのか?

その兆候が様々にあったにもかかわらず、結果的には食い止めることができなかったのはなぜか?

それよりも何よりも、同じような障害を抱えている人たちの想いを癒すことを、なぜしないのかと感じてしまいます。犯人が異常なのではなく、報道そのものが異常な姿となっていることがむしろ、とても怖い気がしています。

F(在宅ケアマネ)

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