フォト
無料ブログはココログ

2017年10月31日 (火)

虹の彼方は?

下町ユニオンニュース 2017年11月号より

 

私は介護保険制度が導入されて2年目の2002年に下町の訪問介護事業者で働き始めて以来、途中に腰椎すべり症になった為現場を離れ介護職養成学校で1年程働いていたのと、妊娠・出産で離職していた時期を除いた10数年間にわたり訪問介護で働き続けています。

 

 最初に介護職で働き始めたのは20代後半でした。仕事はやりがいもあり感謝もされます。手助けをすることで他人様の人生が本当に変わります。他の仕事では味わえない事が沢山あります。

とは言うものの、当時も既に介護職は3K、給料安い、離職率も高く問題になっており、また働く側として問題を強く実感していました。

 

今でも時々思い出す光景があります。最初の訪問介護事業所で働いて2年目の頃でした。当時サービス提供責任者に昇格したばかりの頃、慢性的な人手不足で週6日出勤が常態化していました。誰かの急な休みか何かで更に連勤になり、連続勤務が13日目になり、仕事を終え自宅に帰ろうと駅のベンチに座っていました。疲労で朦朧としつつふと目を上げると雨上がりの空に大きな虹が二重にかかっていました。

大変珍しく、ダブルレインボーとも言うそうです。当時の私は二重虹を目の前にしながら途方にくれていました。私は何で休み無く働き続けているんだろう…こんな激務を何年も続けていけるのだろうか、仕事は好きでも身体を壊すのでは無いか、今はまだ若いが年齢が上がったら無理だろう…暗い未来しか想像が出来ませんでした。

 

あれから10数年が経過し、中年になった私は今もサービス提供責任者を続けています。

もし虹を見上げながら途方にくれている自分に出会えるなら、伝えアドバイスしたいと思います。

地獄の13連続勤務お疲れ様~、実はね、2017年も介護業界の問題点は全然変わっていません。人は年々減っています。募集かけてもさっぱり応募が来ません。キャリア10数年、40代半ばの今も「若手」扱いです。人が来ないから多分10年後も「若手」。

現実を見据えて自分も含めスタッフの年齢、体力、気力を測りながら効率良くチーム運営して行くより仕方無い。

  給料は上がったかって?恐ろしい事に殆ど変わって無い。会社を変わらなければ微々たる昇給は毎年あるでしょうけど。

あとね、身体がもたないんじゃないかって心配? 大丈夫。体力がついて今ではY市の三つの区をまたいで電動自転車で一日2030キロ走り回ってます。

だからね、職場は変えてもいいから介護職は絶対に続けて行きなさい。

手助けする事で他人様の人生を少しだけ変えられるこの仕事は確実にあなたの人生を大きく変えるから。

 

あの頃の疲れきった私がそんな未来を聞かされたら更に絶望するかもしれませんが。      (プリン体)

2017年8月16日 (水)

あそかユニオン

下町ユニオンニュース 2017年8月9月合併号より

江東区にある社会福祉法人あそか会は前常務理事の不正により経営が危機的な状況となり、『あそかユニオン』(あそか管理職分会とあそか支部)を結成したのが2015年3月。そのわずか4ヶ月後には兵庫県の赤穂に本部を置く伯鳳会グループの傘下に入って2年が経ちました。あそか会の新理事長に就任した伯鳳会の代表とは、2~3ヶ月に一回のペースで団体交渉が開催され一定の信頼関係ができたことや経営も改善されたことなどもあり組合の要求が認められ労働条件が改善されてきました。特にこれまで30分ごとの残業時間の計算を1分単位にしたことは大きな改善です。今年7月に行われた団交では、ケアマネの資格更新のための費用の半額助成も確認しました。懸案だった相談員やケアマネなど専門職を兼務している課長の超過勤務問題についても一定の手当を支払うということで確認しました。伯鳳会の賃金制度と人事考課制度の導入により就業規則の変更が昨年行われましたが今秋に実施される人事考課で仮等級から本等級に変更されることで給与の減額はないことも確認しました。

就業規則の変更では十分な説明や組合との交渉も行われず拙速に変更したことについては、理事長から謝罪があり今後は時間的にも余裕をもち十分説明し組合とも交渉していくことを約束しました。有給休暇の消化率を調査し取得率の改善を労使で図っていくこと、今後実施される人事考課が公正公平に行われるのか、実施後に職員アンケートなど行いフォローしていくこと、3割を占めるパート職員の労働条件の改善、来年4月の雇用契約期間の無期転換を前に公正な処遇を求めていくことが今後の課題です。

 経営陣がかわり経営情報が開示されるようになりました。これは伯鳳会の経営方針によるものです。また改革を早く進めるためにトップダウンで決まっていくことがしばしばです。まだまだ改革のスピード重視で労使対等に話し合って労働条件を決定していくという大原則が根付いているとは言えません。それでも労働組合と理事長との定期的な団体交渉が開催され話し合うテーブルは出来ています。

あそか会で働く職員の声、現場からの意見を組合で吸い上げ要求にまとめあげて経営陣と交渉し一つひとつの要求を実現していき、労働条件の改善を図り働きやすい職場を作っていくことは可能です。

労働条件の改善や働きやすい職場がつくられることで職員の定着率が高まり、モチベーションも維持され、結果としてご利用者・ご家族へのサービスの向上にも必ずつながるということを経営陣に理解させていくことが大事だと思います。また地域包括システムが本格的に始まり責任のある事業を担っている社会福祉法人であることを考え、超高齢社会を迎えている地域の介護について現場から提案できる組合活動も求められていると思います。そのためにも各職場や職種で組合員間の意見交換や交流、また組合員以外にも職場アンケートなど、様々な機会を通じて職場の意見を集約していくことが必要です。次回団交は9月21日です。あそかユニオンの活動をみんなで支援しよう。(かせ)

2017年6月 1日 (木)

介護士~『変化の速度』~

下町ユニオンニュース 2017年6月号より

  現代は昔と比べて変化の速度が速い。社会福祉の世界も同じだ。例えば、人類の知識量は、現在は十年で二倍になる速度。一七世紀は百年以上かかったといわれる。学ばなければ廃れてしまうだろう。しかし『変化は早い程良い』というものではない。

変化の速度は車の運転で例えることができる。速度を出すとカーブを曲がりきれない確率が高くなる。また、見通しの悪さ、眠気、感情の高ぶり、運転手技術の未熟さ等があれば、より事故が起きやすい。

介護の世界も同じだ。介護制度が、次々に変わるので、追い付いていけない。介護技術もそう。日々学んでいかなければ・・

何よりも、現場の職員の入れ替わりの変化は大きい。利用者も職員もついていけないし・・

将来の見通しも、眠気も、感情の高ぶりも、混乱も影響している。介護士も人だもの・・  誰でも介護はできそうに思えるけど、経験は必要だと感じる。できそうで、できないことがあるのだ。

例えば未経験の人では

・事故の予防方法や対応方法(まさかと思うことで事故が起きる。でも、車の運転と同じ様な、リスク確率の掛け合わせなんだけどね)

・利用者の状態の把握に対する判断と対応方法

・食事時の飲み込み状況

等意外とあり盲点になることがある。

ところで、パソコン・携帯電話・インターネット・防災・デザイン・電化製品の使用法・パワードスーツの情報等、介護とは関係なさそうで関係するものはあげればきりがない。 

だって人の生活の支援だもの!~

例としてパソコンを~

介護の現場ではパソコンが苦手と言う人が多い様にみえるけれども・~例えば、セキュリティーの話は・・『わからないから、何もしないで』という意見が多い。しかし一方で、介護の現場は複数の人でパソコンを共有することがあるのだが・・

セキュリティーとは

『例えば、ある複数の人が出入りする部屋。机の上に5万円入った財布があるとする。

「盗むんじゃないぞ」と上の人が言った。

しばらくは、なにもなかった。しかし、ある時財布から2万円無くなっていた。「誰が盗んだんだ!」と皆を尋問する。さて、誰が悪いのか? ・・ それは、お金の入った財布を金庫にしまっておかなかったことが原因だ。金庫に入れ、誰が出したかわかる様にする。これをセキュリティーという!

複数の人が使用するから『ファイル削除・ウィルス浸入・果ては情報流出』とかないようにして、トラブルを防ぐに越したことはないと思うけど『わからないから全く対策を採らない』ということが多い。人は理解できないものを遠ざける心理があるからだ。でも大丈夫だろうか?介護情報は医療情報と同じ様に重要だと思うけど・~

 

他にもパソコンは『介護ソフト・資料作成』等様々に使っている。エクセルが罫線ワープロになっていることもあるけど・・・

でも、エクセルの使い方で何か自動化して無駄を省くことはできないだろうか?

変化の速度に、人が遅れてしまうことは介護の現場でも起きているようだ!!  

               (介護士  Z) 

2017年5月10日 (水)

遠方介護がやってきた!! その二

下町ユニオンニュース 2017年5月号より

義理の父の入院・自宅介護はできない状況・退院とあわただしく月日が流れていきました。

救急搬送された病院で急性期の治療が終了し、退院という文字が見えてきました。 夫には、「そろそろ出ていくように言われんじゃない?救急病院は、ベッドの調整もあるから急に言われるかもよ…。兄弟で話したほうがいいよ。今後の事も含めて。」と繰り返し伝えてきましたが、「田舎の病院だし、大丈夫だよ。」と軽く考えていたようです。

ある日の夜、「秋田の母親から電話あった。やっぱり一か月位で退院だって。どうするか決めてほしいといわれたらしい。」と夫から話がありました。「一緒にいる兄貴は、家には戻さないって。歩けるし、自分のことは見ていればできているから、帰れると思うんだけどさ。上の兄貴は、自分で動けるなら一度家に戻したらって、俺と同じ意見だよ。」と。

東北地方は雪が降ります。雪の季節に施設を利用するリピーターの高齢者はたくさんいます。新しくその中に入っていくのは難しそうです。時期的に考えると秋にもう一度施設の移動が必要になりそうです。施設入所ができない最悪の場合、一度自宅に戻ることも考えなくてはいけません。雪がたくさん降るのに?!(夫は、エッ!と(*_*;))。

一緒に住む次兄は、市役所に相談に行き、片っ端から連絡を入れて対応していくように伝えてもらえました。また、施設によって別途費用が必要になることもあること・入所期間が違うこと・対応も違ってくることを何度か説明・伝えても何の事だかわからないようです。どこか入れてくれるだろうとのんびり考えてます。

費用は大丈夫だろうか?有料老人ホームでは、月30万円くらい、老人保健施設(老健)では、月1315万円(個室7では、2030万円)位、高齢者専用住宅78万円くらい(医療費・介護費用・などがベッド必要になります。)かかります。 これまで、自分の両親含めて、義父母の年金収入や預貯金などまったく気にしていませんでした。 夫から義母に聞くと1015万円くらいであれば大丈夫のようでした。一か月…二か月…時間が過ぎますが、次の施設探しが進みません。義母も気をもんでいます。

義母に相談を受け、「正直に次兄の考えと義母の考えに違いがあること・退院後は施設を考えていることを病院の相談員に伝える」ように助言しました。相談員?(?_?)の母親に、看護師さんに退院の相談をしたいので相談員に会いたいといえば調整してもらえることを伝えました。

病院には、相談室(医療相談室・地域連携室・退院支援室など名称は様々)があり、医療費・治療・入退院・退院後の生活について・制度の利用などの相談の対応をしてくれる相談員(ソーシャルワーカー)さんがいます。今後の対応に困ったときの相談窓口になります。

相談員さんと義母と相談を行った結果、義母宅からは遠方になりますが、介護療養型病院を紹介してもらえることになりました。

介護療養型病院とは、おおむね65歳以上で要介護の認定を受けている方が対象で、リハビリや医療ケアを受けることができる病院です。医療法人が経営していることが多く、医療費の負担は大きくなることが多いですが、長期機関の利用ができます。今後、介護療養型病院は廃止の方向で、今後は「介護医療院」の名称に変更になる予定です。病院色が強いものではなく、老健(病院が併設)に近いタイプと有料老人ホーム(病院併設でない)に近いタイプのいずれかの施設色の強いものに、この6年間の間に変更していくようです。

初夏に義父は、介護療養型病院に転院しました。

夏休みに、34日で帰省しました。

義母宅から車で40分、田舎なのでバスもありません。義母が面会に行くには、誰かにお願いしなくてはいけないようです。

義父は、4人部屋で、他の3人の方は、胃瘻や点滴といったチューブ管理の方です。意思疎通ができるけど、会話などは難しい様子です。中には、ミトン(おむつ外しやチューブを引き抜かように両手にする手袋)をしている方もいました。

ふと、義父のベッドに目をやると身体拘束のベルトがセットされていますが、利用していない様子です。義父に聞くと、「ずっとある。何もしてない。」と。

義母に聞くと、「環境が変わったからか、ここに来たときには、ベッドから降りようとしたりしたんだよね。今は、落ち着いたよ。」

とのこと。せん妄(意識性が起こり、頭が混乱した状態になる。落ち着かなくなったり、錯覚・幻聴があったりと症状はいろいろ。原因は、薬や脱水や栄養障害・外傷などの疾病、環境の変化や心理状態のことが多い。せん妄だけの症状であれば一時的なもので、改善することも少なくない。認知症の症状の一つでもあるので認知症と誤診されてしまう事もあるようです。)。

義父は、まったく覚えていない様子です。状態が落ち着いてくれてよかったとホッとしました。

私達三男家族を義母が誰か聞いています。義父は、「何聞いているの?」といった感じで答えていきます。「お義父さん。」と声をかけると、嬉しそうに顔を向けてきます。何度か呼ぶと「はい。」と恥ずかしそうに返事をしてくれました。(「お父さん」と呼ぶのは、義父の人生で私が嫁いでからで、誰かに呼んでほしかったようだと義母。

いざ呼ばれると恥ずかしく、顔を向けてそっけない反応をします。意地悪な私は、何度か呼ぶので根負けして恥ずかしいのに返答してくれるのです。)

私の好きなシャイな義父は健在で、ちょっと安心しました。

秋には、ここも出なくてはいけないので、今後について話をしていくことになりました。

(ケアマネ M)

2017年3月29日 (水)

遠方介護がやってきた!!

下町ユニオンニュース 2017年4月号より

皆さんに、私の体験を通して、介護が必要になった時にどうするのか? 参考にしていただければと思います。

 私は、東京生まれで在住の為に、自分の両親は比較的近くにいるために子供が小さい頃はお世話になりました。幸いにして独身の弟が同居しているので、何かあれば相談にのり、通院にも同行することは可能な恵まれた状態です。主人は、東北生まれの男ばかりの三男・東京在住の為に両親と会えるのは、夏休みを利用した三泊四日程度の帰省のときだけです。次男家族が同じ建物に同居しておりますが、基本的に生活は別のようでした。

 昨年の五月に突然、「朝起きたら、ろれつがまわらない」と義母から義父の体調不良を訴える連絡が主人に入り、主人から私に連絡がありました。主人にすぐに救急車を呼ぶように伝え、次兄には主人から状況の説明を行い誰かが搬送について行けるように伝えてもらうことになりました。

 同居している子供に伝えるのが早いかと思いますが、帰省の際に何かあったら連絡を入れるようにと言っていたこと・私が長年介護の仕事をしてきていることがあってのことと思います。

 早期の脳梗塞と診断され、点滴治療で状態は回復しましたが、この後どうするのか? 介護の始まりです。先ずは、介護保険の認定を受けて介護度を記載した介護保険証をもらうことにしました。65歳過ぎると名前と住所・介護保険の被保険者番号が記載されたものが市区町村から送られてきているのですが、いざとなると見つからないものなんです。送られた本人や家族は、それが何なのか・どうしたらいいのかわからないのです。市区町村は、これが何か理解している前提で郵送してきているのです。どこかにしまっておいて、姿をくらましてしまうことやこれで介護保険のサービスが受けられると思う人もいるのですから。

何が必要かというと被保険者番号が必要なんです。どうしても見つからない場合は、介護保険課に電話して対応してもらえるのですが……。義母にも説明し、次兄にも伝えましたがピンとこない様子。幸いにも入院中で、介護保険証もすぐに見つかったので、病院の相談員さんにお手伝いしてもらいました。申請から一週間後に認定調査が行われました。認定調査では、「○○ができない」と出来ないことを訴えるのではなく、「耳が良く聞こえず、悪口を言われているなど被害妄想的にとらえることが多いので、繰り返しの説明・筆談等が必要で介護の手間がかかっている。」などと介護の実状をお話するといいみたいです。どのような状態でどれだけの介護が必要なのかを知るための調査なのです。

義父は、今回の入院で視力の低下を指摘されました。全盲に近いと……。 ???おかしいぞ……。 病気をするまで、毎日畑に自転車で行っていたし、入院中の今も病室の入口に義母が立つと声をかける前に義父が声をかけているし、ご飯もセッティングすれば自分で食べているし……。 おそらく、かかりつけ医でもなく、コミュニケーションが十分でない状態での診断なのかな?病院の相談員さんに相談して身障手帳の申請も行うことになりました。義父は、幸いにして脳梗塞の後遺症はほとんどなく、筋力の低下程度で済みました。もし、病気が原因で体に障害が生じた場合は、入院中に身体障害者手帳を申請するとスムーズですよ。診断などが必要なので、病院内で診断を受けることができますから。退院後だとご本人・家族の対応となってしまいますので……。

この後の対応をどうするか?起き上がり動作や食事は自分でできている・会話も可能で意思疎通も可・筋力低下があり、立ち上がりや移乗や歩行には介助や福祉用具が必要な状態の様です。家族は、どのように考えているのでしょう?義父自身は、「家に帰りたい」。義母は、「私がまだ看れるから、できるなら家に戻したい」。長兄夫妻は、「自分で動けるなら、家に戻ったら?認知症になっちゃうかもよ。対応難しい部分は、サービス使ったらいいんじゃないの」。我が夫は、「動けるなら、家に一度戻って様子みたら?このまま大人しくしているとは思えないし……」。次兄夫妻は、「無理。自分で出来ないなら無理でしょう。階段もあるし(義親の居住スペースは、母屋のすぐ隣の二階にあります)、介護は出来ない、しない」と、はっきりと在宅介護を否定してきました。

介護認定の結果に合わせて、デイサービスやヘルパーの協力も得られること・ベッドや車椅子などのレンタルも出来ること・階段には昇降機(座って階段を昇降する機械)も設置出来ることなど色々と説明しましたが、状況は変わらず。長兄と主人は、意見が一緒の様です。(長兄は、自宅で兄嫁の母親を介護しています。)

ですが、同居しないとわからない部分・主人は東京にいてすぐにいけない状況ということもあり、病院の相談員さんに状況の説明を義母・次兄で相談してもらうことになりました。その結果、急性期の治療は終了したが、もう少し病院でのリハビリをしてみてはどうかと、系列の療養型病院(長期的に療養しながら介護も受けることができる病院。概ね六ヶ月位)への転院をすることになりました。       続く(ケアマネ M)

2016年10月 1日 (土)

苦悩する介護の職員たち⑥

下町ユニオンニュース 2016年10月号より

 

介護現場の職員の多くは、その存在が評価されないために、逆にとんでもない行動を取ってしまう。その原因を作ったのは実は当事者ではなく、その事業所の管理者であったり、社会的な評価の低さだったりする。今回はそんなお話です。

 

とある介護の施設です。今はやりのサービス付き高齢者住宅、通称サ高住と言います。

一般的にはこうした施設は有料老人ホームと呼ばれる、特定施設入居者介護と言われるものですが、それとは少し違って、高齢者アパートのような形を取りながら、実際にはそのアパートに看護や介護の職員が常時いて、ケアをしている・・と言うものです。

いわゆる「(施設の)外から」サービスが入るため、外部サービス導入型とも言われています。

 

そのサ高住では、なんと自分たちのタイムカードを適当に打刻して、時間外の手当てをくすねていたといいます。実際には必要でないケアを利用者に提供し、あたかも時間外のサービスを行ったように見せかける。こうしたやり方が横行していたといいます。

 

なぜこんなあさましいことが起こったのか。原因は明らかでした。

つまり、こうした職員の不正行為を管理者が知らない、関知しない体制が出来上がっていたのです。その原因は、現場の動きを知ろうともしない、まるっきり職員に丸投げの体制がありました。

経営管理者は常に「数字(経営収支)」だけを求めていたといいます。誰がどんなケアをしているのか、どんな利用者が入居しているのか、そんな職員の苦労はお構いなしに、単に経営の数字だけを優先させる管理者にきっとすさんだ気持ちや裏切られた気持ちがあったでしょう。

 

大事にされない職員は、いつしか管理者の目を盗んでその荒れた気持ちを埋めるように、手当てをくすねて気持ちを満足していたのかもしれません。

こうした状況を見て、早速「サービス向上委員会」を立ち上げて、みんなで改善策を図ろうと提案しました。

が、実は難問はここからでした。

一向に進まない改善策は、「みんな戸惑っています。これまでと180度違う運営が本当にいいとは思います。でも、じゃあこれまでは何だったのか・・とも思います。私たちは、ただこうしたことに我慢してきただけだったのかと・・」

絞り出すように話す職員たちを前に、私の気持ちはとても悲しいものに変わりました。

だれにも相談できない、誰も分かってくれない、その中でじっと耐えながら日々を過ごしてきた職員には、改善する意欲も対策も思い浮かびません。

まずは、彼らのすさんだ気持ちをいたわり、つらい気持ちを解きほぐすことから始めなければならない、そう感じた瞬間でした。

我々労働者の苦悩は、こうしたところから始まるのだという、当たり前のことを改めて教えられた事件でした。

「我々の声を聞け!」これは万国共通の、労働者の叫びです。声を上げる!声にする!

そのことを改めて考えさせられました。   (F)

2016年8月11日 (木)

在宅医療の現場から③

下町ユニオンニュース 2016年8月9月合併号より

  

一週間前(2016年7月26日)の津久井やまゆり園の「事件」は、様々な反響を生んでいます。今回はこの事件を取り上げてみたいと思います。

本来、殺人事件に異常さも病理性もないと思いますが、なぜかこの種の犯罪については、殊更「異常な病理性」や「特異な性格」などが大きく報道されるように感じます。

「重度障がい者を殺害」「次々に刃物で殺す」「犯人は元職員」「19名が心肺停止、26人が重軽傷」などなど、殺害の現場を伝えていきます。

それこそ「異常な犯人が、異常な行動で殺人を犯した」という文脈のみが報道され、幸い助かった入所者の様子やその家族、あるいは被害を受けた家族や本人の様子は、なぜか知らされないままです。しかも、当事者の名前も報道されないまま、誰がどうなったのかさえ分からない、それこそ「異常な報道」が続きました。

そして続く第2報は、衆院議長邸での殺害予告や「措置入院」「入れ墨」など、あたかも「異常な人物」の姿が流されていきます。まさに都知事選挙の佳境に入ろうとしたそのときに、この事件が報道されていきました。

全体の報道のテーマは一貫して「精神に異常をきたした犯人が、異常な殺人事件を起こした」というもので、施設の保安管理や事件後の救済処置、同じような施設管理の問題などはなぜか背後に隠れたままでした。百歩譲って、精神障がい者の「治療や支援」といった報道は、全くされないままでした。

この事件にしても一週間を経てようやく、殺害された本人の名前や施設職員の名前が公表されないことに、「違和感がある」と報道されるようになっています。しかも、同じような障害を抱える当事者や支援者から「むしろ公表しないことが問題」と指摘されても、いまだに明らかにされる様子はないようです。

「事件」の詳細は不明です。が、ここからくみ取る教訓や課題は何でしょうか?

「社会的に異常な人物は、隔離するほかない」ということなのでしょうか?それとも、社会防衛をきっちりしないと、誰でも事件に巻き込まれてしまう、常に危険と隣り合わせなのでテロや事件に対して対策が必要、とでも言いたいのでしょうか?

以前この下町あれこれでも書きましたが、川崎幸町の老人施設の殺人事件が報道され、その後その施設を運営していたメッセージは損保ジャパンに買い取られました。事件後一年以上も経過した後で、事件は殺人事件として報道され犯人が逮捕されていきました。

結局、この事件は老人施設の管理の問題や施設職員の労働環境、介護施設でのケアの問題を教訓化することなく「姿を変えて」存続していきました。

今回の「殺人事件」は、今後どのような報道の内容に変化し、最終的にどんな教訓を残していくか、注視していきたいと思います。

なぜ、障害者の支援を夢に見ていた若者が「異常な精神」を持つようになったのか?

その兆候が様々にあったにもかかわらず、結果的には食い止めることができなかったのはなぜか?

それよりも何よりも、同じような障害を抱えている人たちの想いを癒すことを、なぜしないのかと感じてしまいます。犯人が異常なのではなく、報道そのものが異常な姿となっていることがむしろ、とても怖い気がしています。

F(在宅ケアマネ)

2016年7月 1日 (金)

一人暮らしの老人たち~在宅支援の現場から⑭~

下町ユニオンニュース2016年7月1日より

 

都営住宅に住んでいるAさんは、今年で97歳になります。東京の下町育ちそのままに、勝ち気でキップが良い「元気なおばあさん」といった感じです。この数年は、夏場と冬場には老健施設という介護施設を利用して、自宅と施設生活の繰り返しです。

 

これほどの高齢でも、殆どの生活は自分で出来ます。つい数年前までは、何とか階段を下りて買い物にも行っていました。隣のBさんと一緒にバスに乗って大きなスーパーマーケットに行っては、買い物したり食事をしたり、ウインドウショッピングをして1日を過ごす「アクティブシニア」の模範のような人でした。

 

そんなAさんが先日も施設から自宅に戻って、また新しい生活が始まりました。施設に行く前と同じに、週に2日1時間ずつの部屋の掃除と買い物のサービス、週に2回の短時間の入浴サービスを受けることになりました。

 

食事や普段のこまごまとした家事は、10歳年下のBさんがやってくれます。このBさんもまた息子と二人暮らしで、日中一人になるおばあさん同士が助け合って生きているといった感じです。

 

そんなある日、ヘルパーさんから電話がかかり「お風呂の後で血圧が高くなって、少し気分が悪くなってしまいました。今からご自宅に帰ります」と連絡が入りました。急いで駆けつけると、なるほど血圧は少し高いものの心配するほどではありません。が、大事を取って病院に行くかどうか尋ねると、「心配ない」と言います。

 

とりあえず息子さんに連絡して、心配して付き添ってくれているBさんに後を託して帰りました。

 

翌日再度訪問すると、「昨日はお風呂でのぼせたんだね。もう良くなったよ・・」と、いつものキップの言いAさんに戻っていました。朝から様子を見に来ていたBさんと一緒にお茶を頂きながら、問わず語りに昔の話が出てきます。

 

「たくさんのことがあったねえ。私なんかこの歳だから、東京大震災と大空襲を生き延びてきたんだよ。大震災の時は、朝鮮人が毒を投げ込んだと言っては騒いでいて、本当に怖かったねえ。大空襲の時は、目の前で逃げる子供があっという間に火に巻かれて、そのまま焼かれてしまった。周りが火の海だったから、どんどん燃えていくんだよ。お母さんを探しているようだったけど、本当にあっという間に服に火がついてさあ。かわいそうだったねえ。あたしが逃げる途中で子供をしょったお母さんが、背中の服に火がついてしまって、子供と一緒に燃えてさあ、どうすることも出来なかったんだよ・・」

 

あと5年もするとAさんは生きていないかもしれません。Bさんもどうなっているか分かりません。こうした話は聞くこともなく、人に語り継がれていくこともなく消えていくことでしょう。歴史の過ちを繰り返さない・・という言葉が、どことなくむなしく響いてきます。

 

今再び戦争の悲惨が繰り返されそうな雰囲気があっても、こうした声は私達には聞こえてきません。

 

間もなく「第36回の江戸川区原爆犠牲者追悼式」がやってきます。7月17日は葛西区民館で再び、「原爆許すまじ」の歌声を聴くことになります。    F(在宅ケアマネ)

 

2016年6月 1日 (水)

苦悩する介護の職員たち⑤

下町ユニオンニュース 2016年6月号より

先日開催された1億総活躍会議は、介護職員の月額1万円の処遇改善、介護人材確保策 、福祉系と看護系の相互単位認定を提案した。

介護を理由に離職する人や特別養護老人ホームの入所待機者を減らすため、2017年度から20年度までの間、月額平均1万円相当の処遇の改善を行い、21年度以降は、介護報酬等の改定に合わせ、必要に応じて見直すというものである。

そして、利用率が上がらない介護休業制度の周知についても、今年8月1日から、給付率が従来の賃金40%から67%に引き上げられ、来年からは分割取得も可能となるという。

また保育士・介護福祉士など福祉系の資格間、福祉系と看護など医療系の資格間で相互に単位を認定することを提言、検討を求めている。

 

一方、市民福祉情報オフィス・ハスカップの小竹雅子氏は、次のように指摘している。

2015年度の介護報酬改定では、消費税引き上げ分を投入し、介護職員処遇改善加算を「1人あたり月額1万2000円相当」引き上げることになった。では、介護労働者の給与は上がったのか。

介護労働者が「月給・常勤」の場合、加算Ⅰを取った事業所の平均給与は28万7420円になり、前年同月比で1万3170円増となった。加算Ⅰ~Ⅳのすべての事業所合計でも、平均給与は28万4410円になり、1万2310円増となった。

しかし、「給与総額」が「1人あたり月額1万2000円相当」を超えてもなお、「手取り額」は全国平均より約12万円少なく、消費支出は赤字になり、介護労働者の家計はかなり厳しい。  

介護労働者の「月給・常勤」の給与約28万円を単純計算すれば、年収336万円になり、民間平均の約8割となる。国税庁調査では、民間労働者の平均年収は男性514万円、女性272万円と男女差が大きく、雇用形態では正規478万円、非正規170万円と所得格差はさらに広がる。

 介護労働者の年収は、民間労働者の男性平均より178万円(月約15万円)、正規労働者平均より142万円(月約12万円)、それぞれ少ないとも読める。

いずれにしても、約170万人といわれる介護労働者のうち、給与が「月額1万2000円相当」になったのは何人くらいなのだろうか。残念ながら、「介護従事者処遇状況等調査」では知ることができない。

2006年の自民党・小泉政権下でフィリピン、翌2007年には第一次安倍政権下でインドネシア、それぞれ交わされたEPA(経済連携協定)によって、介護・看護の分野での外国人の人材の受け入れが決まった。当初は2年間で2000人の介護士・看護師を受け入れる予定だったのが、受け入れ開始から6年以上が経過した時点でも、その数字は達成できていない。そして、今年からベトナムとの間でも始まった。

一方で政府は、「外国人技能実習制度」で介護士を受け入れる方針も打ち出している。実習制度は今から20年以上前、発展途上国の若者が日本で技術を学ぶためにつくられた。ただし、それは建前に過ぎず、現実には日本人の働き手不足に悩む中小企業の工場や建設現場に対し、入国が禁じられているはずの「単純労働者」を供給する"裏口"の手段となってきた。就労期間を最長3年から5年に延長することが検討されているが、短期労働者の受け入れ策であることに変わりない。

 外国人労働者が定着する希望はどこにもない。一方、国内の介護労働者は確実に減り続けている。

 繰り返し警告しているが、私たちの日本の将来は戦争をするまでもなく、行き場のない高齢者が地域に溢れ、若者たちが支えることが出来ない時代を迎える。覚悟を決めなくてはならない。 (F)


2016年4月27日 (水)

在宅医療の現場から②

下町ユニオンニュース2016年5月号より

「あなたの暮らしを問い直す」~

 

 医療や介護に関係していると、この「在宅医療」ということばは、ほぼ毎日のように聞こえてきます。少し関心のある方も、新聞やメディアに登場するので知っていると思います。

 が、実際にはこの「在宅」という言葉の響きがそれぞれ受け取る人によって違っているというのを実感します。

 最もひどい感覚を持っている医療者(とくに医師)では、「在宅医療はたいして技術もない、能力が低い連中の仕事」と思っています。これは実際に自宅で暮らしている人やその家族から見れば全く逆の事のように感じますが実はよく耳にすることです。

 こんなことがありました。都立の病院に受診しているガン末期の方でした。がんの治療はその多くが外来診療で行うことから、自宅から病院に通院する必要があります。しかし抗がん治療を受けるようになると、その副作用や身体の変調で通うのがとても大変になります。そんな相談を家族から受け、自宅近くの病院を紹介して入院をしました。入院に際して、かかりつけの病院から情報をもらいたいと連絡をした時のことです。

 「その先生はキチンとがんの治療ができるのですか?」という返事です。あからさまに町医者では能力が低いと言わんばかりです。カチンときた私は、患者が困って相談しているのは、そちらが十分なフォローをしないからでしょう、患者さんは「あの医者は信用できない」と言ってますよ、と伝えました。

 また、こんなことも最近聞きました。同じく抗がん治療を受けている年配の方で、通院が辛いのと今後のことが心配なため、うつ病になっている方でした。誰にも相談できないまま家族とも折り合いが悪く、かといって病院に相談してもらちが明かないと、ようやく知ったがんカフェで心を癒すことが出来ました。

 最近では「自宅で死を迎えること」はさもいいことのように吹聴されていますが、実際にその当事者になれば、そう簡単に自宅で最期を迎えるのはとても難しいことです。その要因が、病院偏重主義ともいえるこうした在宅軽視の考え方です。一度でも病院に入院したことのある人であれば、病院が安楽で快適なところでないことは十分に知っています。むしろ、白い壁と天井を見るしかない重症の患者にとっては、つらい重苦しい空間です。しかし、そこにとどまるしか方法がなく、自宅で療養するすべがないからこそ、その苦痛に耐えているのです。

 在宅の現場で仕事をしていると「来週の月曜日の午前中に退院です」、突然こんな電話がかかってきます。その人がひとり暮らしで、自宅の片づけも準備も出来ていない、ベッドの手配もこれから、ヘルパーの手配もこれからという状態でも、全くお構いなしです。

 これは、病院が「病気は治すが、その人の暮らしは二の次」という発想から抜け切れていないのが、一番の原因と感じます。そして、多くの医療職がその感覚を根強く持ったまま、いまだに変わっていないことが大きいと感じますし、社会全体がその傾向を強くしていると感じます。

 「人々の暮らしよりも経済が優先される、景気の動向と産業の発展が最優先」という、日本社会全体の傾向がその根源にはあるように思えてなりません。そして、その感覚は私にも、あなたにも知らず知らず蔓延している「悪魔のささやき」のようにも思えます。

あなたの「暮らし」はどうですか?いい加減に考えていませんか?これは警告です。

(在宅ケアマネ F)

«一人暮らしの老人たち~ 在宅支援の現場から⑬